悔しがる
変な夢(内容は憶えていません😅)を見たのだと思います…。
本日は、原因のよく分からない「不安感」を抱えての目覚めとなりました。
うーん。
…
私、「不安」と「緊張」が嫌いなんですよね。
そうなる原因が、ではありません。
人間の機能としての「不安」や「緊張」が嫌いなんです。(ノルアドレナリンの存在?)
よく「痛覚」などは人間が命を維持するために、むしろ必要だと言われます。
「不安」や「緊張」も同じ類で、遥か昔の人類が体験した“命の危険”を回避するためのものなのでしょう。
DNAの贈り物です。
…ただですね、私がこれまで「不安」や「緊張」を感じたときの原因って、“命に係わるようなもの”が全然ないんですよ。(私に限らず、多くの人がそうなのでは?と思います)
大勢の前でお話しする際などは緊張しますが、「上手くしゃべれずに恥ずかしい思いをする=命の危険」だと体が感じてしまっているのだとしたら、「なんと弱いことか」と嘆きたくなります😅
しかも、「不安」や「緊張」を感じたときって、呼吸が乱れ、手足に力が入らなくなるじゃないですか?
これって、“命の危険から逃げるため”というよりはむしろ、“楽に終われるように麻酔が出ている状態”なのでは?(直接的な表現は避けますね😅)
まあ、“危うきに近寄らせないため”なのかもしれませんが、大体の場合において、これらを感じたときって「力を発揮して、切り抜けなければならない」ときだと思うんです。(恐い相手と対峙したときも一緒。全力で戦うか、逃げるかしなければなりません)
なのに、楽に終わるための準備を体がしてしまっているなんて…(T_T)
いらないです。
「不安」も「緊張」もいりません。
不安を感じる時間が1秒でもあるなら、その1秒を惜しんで行動していたい。
そう思います。(実現できそうな理想です😁)
以上、変な精神論でした(笑)