「拡散希望」について考える
「マンボウの新種が見つかった!」
記事の日付は昨日ですが、「2017年7月の出来事」です。記事には、
- 「カクレマンボウ」という新種が見つかったとき、世界的には大ニュースだったのに、マンボウ好きが多いハズの日本では、さほど話題にならなかったのがくやしい!
- この記事を読んだら、ぜひ「カクレマンボウ」のことを友人に教えて欲しい
といった筆者の想いが綴られています。
私は「マンボウが大好き!」...というほどでもないのですが、こういった「拡散希望」を謳った記事をあまりみたことがないので、ここぞとばかりにネタにさせていただこうと思います😁
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この「拡散希望」の要請(マンボウの記事は、本気でもなさそうですが)について、「応えたい」と思うか「そうでもない」か、どう違うのか?を考えてみました。
Twitterをやる方にはイメージしていただきやすいと思うのですが、″自分はそんなに興味がないけれど、発信者が「拡散してほしい!」と希望している情報”については、協力するか否か?ちょっと迷うんですよね。(自分が「いい!」と思うものであれば、迷うこともないんですが...)
たぶん、【協力してもいいと思う場合】は、以下な感じだと思うんです。
- 私欲を満たすための内容ではない
- 自分にとって、デメリットがない
- 不快に思う人はいなさそう
- 頻繁な「お願い」ではない
- その発信者自身も「他の人のお願い」に、ちゃんと協力している
(全てじゃなくても)これらの条件を満たし、自分の気分も乗っていれば協力するんじゃないかなーって思います。あとは、ほかに協力している人が多ければ多いほど、敷居はどんどん下がるかと。
逆も然り...ですね😅ノーコストで私欲を満たすために「お願い」しても、そこに人間的な関係性がなければ、協力を得られようはずもありません。
...やっぱり、一番いいのは「関係性をつくる」こと、「自分もコストを支払う」ことですかね?これを即席で行うのなら、きっと「顔出し」が効果的なんだと思います。
自作アプリを世に広めたい私は、自分に言い聞かせるつもりでこの記事を書いたんですが...「顔出し」はハードルが高いなぁ😅
ちょっとまとまりませんが、本日は以上です!