分かるような分からないような…
今年はコロナの影響で、3.11東日本大震災の追悼式が中止になるそうです。
震災では大勢の方がなくなり、当日を生きていた人々の心に大きな爪痕を残しました。
犠牲になった方々を偲び、確実に起こると言われている「将来の震災」への意識を高めるための追悼式。…今は、コロナの感染拡大を防ぐことが最優先なので、中止になるのは仕方ないですね。
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この記事を読んで、「人間の仕組み」について考えてしまいました。
よく、人間は「楽しかったこと」よりも「辛かったこと」の方が記憶に残ると言われます。
「辛かったこと = 生命の危機」であることも多いので、生存確率を高めるため、本能的に「辛い記憶」を残そうとする…というのが、その理由だそうです。
仮に「“楽しい記憶”しか残らないことが原因で、結果、早く亡くなってしまった人」がいたとして、私はその人のことを不幸だとは思いません。むしろ、できるなら自分もそうありたい…とすら思います。
ただ「生きる」ために生きるのではなく、「楽しむ」ために生きるのが理想。それができないので、だったらせめて“正”も“負”も含め、「感情そのものが動くこと = 良いこと」と考えるようにしています。(次善策ですね)
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添付した記事には、遺族の方の「震災を胸に刻む気持ちが薄まらないでほしい」という心境が記されています。
「悲しい記憶も大事にしたい」
分かるような分からないような…、凄く複雑な気持ちになりました。
亡くなった家族のことを忘れたくない…(分かる)。でも、辛い気持ちは薄まって欲しくないのだろうか?…(分かるような分からないような)。
この機械的にバッサリ切れないところが、「人間らしさ」なのでしょうか。
これをAIで実現するのは…きっと無理でしょうね。
かなり先の未来、人間の仕事は「心を動かすこと」だけになっているかもしれません😁
本日は以上です!