川崎回遊記(お店レポほか)

2018年末、某大手証券会社を退職。現在は、川崎駅徒歩圏内クーポンアプリ【掘り出せ!黒ダイヤ!】をリリース、運営しています!ここでは、「お店の体験レポート」や「活動の記録」、「仕事と絡めた時事への雑感」などを投稿しています。(いちおう毎日更新、仕事をサボらないように…笑)

矛盾

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先日アップされた、雨上がり決死隊・宮迫さんのYouTubeチャンネルでの謝罪動画のコメント欄に、批判コメントが殺到している件について。

 

ナインティナインの岡村さんが、「なぜ、わざわざチャンネル登録してまで、批判コメントを書くのか?」と疑問を呈したそうです。

 

批判コメントは、チャンネル登録しなくても書くことができますが、とりあえずそれは置いておいて、「なぜ、わざわざ批判に時間を使うのか?」を考えてみました。

 

綺麗ごとを書いてもしょうがないので、なるべく自分の心に正直にいきます。

 

まず、「批判すること」は楽しいか?

 

これは、自分が安全であり、かつ同調者がいるという前提であれば「楽しい」と思います。...書いていて、最低だとは思いますが😅

 

ちなみに同調者がいなければ、どんなに自分に「正直」を突き付けても「楽しくない」と思います。一人で悪態ついても、それなりにスッキリはしますが、「怒り」と「敗北感」「自己嫌悪」といった負の感情が勝ります。仮に聞き手がいたとしても、「そうなの?その人、そんなに悪くない気がするな...」って言われたら、なんだか悪口を言った自分が、とても恥ずかしい存在であるかのような気になりそうです。

 

でも、聞き手も「そうそう!あいつ、ダメだよな!」ってなったら、共通の敵ができたみたいで楽しい。優越感を感じ、批判対象より偉くなったような気になります。

 

ちなみに、叩く相手が「自分より弱い人」だったら、楽しさよりも「自己嫌悪」のほうが勝ります。本能的には何とも言えませんが、「“弱い者いじめは、恥ずかしいことである”と教育された」からでしょうか...。恥ずかしくて、できません。(極論、幼児を捕まえて、「俺はお前より頭がいい!」なんて本気では言えません)

 

結論、宮迫さんへの批判コメントを書きたくなる気持ちが、私には分かります。

 

・叩く対象が、自分より成功している人である(そんな人に勝っている気になれる)

・自分(批判側)には大勢の味方がいて、共感してくれる

・自分は安全である

 

気軽に「優越感」を得られることは十分、想像できます。

 

...でも、もしやっていたとしたら、知り合いには絶対にバレたくありません。カッコ悪くて恥ずかしい行為であることを、同時に理解しているから。対象が自分より成功している人だったとしても、弱っているところに追い打ちをかけるのは“いじめ”ですからね。

 

「お前、そんなことに時間使ってるの?」なんて言われたら、「消えて無くなりたい!」と思うこと間違いなしです😅

 

一方で、「そんなこと(批判コメントを書くこと)して、何が楽しいの?全然、理解できない」みたいなコメントも、なんだか気に入らないんですよね。

 

そりゃあ、やってることは時間の無駄でしょうけど、「本当に気持ちが理解できないの?カッコつけてるだけじゃない?」って思ってしまいます。

 

...「気持ち悪くて、醜い本性を隠してカッコつける」のが人間。「悪いことだと分かっていても、そこに快楽を感じてしまう」のが人間。

 

うーん、超越したい。無理ですけど(笑)